公共交通機関と公共政策のお話

こんにちは。昨日もツイキャスの方でお話ししましたが、一晩ゆっくり考えて、テキストに起こしてみました。(昨日お話ししていないことも入っていますが、昨日しか話していないこともあります)
是非ご一読ください。

検討課題:
大量輸送機関が公共性を有する理由を以下の通り検討する。

前提要件:
(i) 公共性とは何か?
公共の福祉と同義と考えると、国民ないし当該地方公共団体(一に限らず複数を認める場合もある)の住民全員の幸福を増進させることを言う。
住民全員の幸福を確保するために、一定程度自然人の人権や、法人の持つ特定の権益を抑制することが出来るものと解される。

(ii) 大量輸送機関とは何か?
一般に、以下を言う。(日本国内に限定する。)

(a) 鉄道事業者(鉄道事業法第二条第一項に定められる第一種鉄道事業者、第二種鉄道事業者、第三種鉄道事業者を言う。以下同じ)の運営する旅客車を用いた輸送手段。

(b) 軌道事業者(軌道法にいう軌道経営者。以下同じ)の運営する、軌道車両を用いた輸送手段。

(c) 道路運送事業者(道路運送法第二条第一項にいう旅客自動車運送事業、貨物自動車運送事業、自動車道事業等)の運営する、自動車道において運用される車両により行われる輸送手段であって、小型および中型を除くもの。

(d) 航空事業者(航空法第二条第二項にいう航空業務を行うもの。以下同じ)の運営する航空機(航空法第二条第一項)により行われる輸送手段であって、小型および中型を除くもの。

(e) 船舶事業者(船舶法第二条各項にいう日本船舶を有するものであり、個人でないものを言う。以下同じ)の運営する日本船舶により行われる輸送手段であって、個人用および小型並びに中型を除くもの。

以上各項に該当するものは、その旅客輸送量(場合によっては貨物輸送量)の多さにより、これらを適切に運用管理することは、公共の福祉の増進に寄与するものと言って良い。
仮に、これらに一切の法規制を及ぼすことなく自由競争にゆだねた場合、当該輸送旅客・貨物の安全性を阻害するだけでなく、国民の生命権を害する恐れがあるから、一定程度の競争を抑止し、法により規制されるのは妥当性を欠かない。

本論
(I) 大量輸送機関が公共性を有するか否か
大量輸送機関が公共性を有するかどうかは、鉄道事業法第一条及び道路運送法第一条並びに航空法第一条の立法趣旨に照らせば直接的にこれを立証できる。
その他、軌道、船舶についても、国土交通大臣又は地方公共団体の許認可権が作用していることにより、間接的にこれを立証できる。
さらに言えば、バス、鉄道、船舶については、公営事業者が多く存在していること、それらが民業圧迫(経済の自由を侵害)しているとして違憲(違法)の判断が司法でなされていないことを考えれば、間接的にこれらの公共性を推認することが出来る。

(II) 公共交通機関に対する自由競争の否定
前提要件(ii)のまとめで確認したように、大量輸送機関と公共交通機関はほぼ合致するものであり、公共交通機関の競争を一定程度否定することは、公共の福祉に反しない。生命権を擁護し、或いは輸送手段の安全性・確実性を担保し、経済を遅滞なく運用させることは、国家の責務であるといってよい(最小国家論においても、生命権の擁護に関してはこれを国家の責務として認容する)。

ただし、一切の自由競争を排除すると、サービスや技術革新に遅滞を引き起こす可能性があるから、公共の福祉論により抑制されるべき諸権益は、最小限度にとどめなければならない。

(III) 公共交通機関に対する公金投資の妥当性
赤字路線を抱える公共交通機関に対して公金を投資して、当該路線を維持させることが一定限度において妥当性を欠くものではないことは、以下の議論によりこれを立証できる。

(a) 公共交通機関利用者が全て歩行者またはプライベートな輸送手段を利用したとき、道路などは当然に逼迫する。そのような場合に混乱を未然に抑止し、公共の福祉を増進させることは、国家または行政作用として妥当性を欠かない。道路を増設又は拡張するにしても限度があり、空路および海路についても同様の事がいえる。

(b) 公共交通機関がなくなった場合に、高齢者(免許の自主返納などで自動車が運転できないものも増加している)や障碍者・傷病者の権利(交通権)を担保することは、行政庁の責務として非合理的でない。
この考えは、新しい人権に依拠するものだが、交通権の確立が未だなされていない。しかしながらこの考えによることは、公共の福祉に利するものといってよいだろう。

所感
(i) 新自由主義に対する警戒感
新自由主義は最小国家主義に自由競争主義が混ざったもので、要するに完全自己責任論と言うことであるが、そのような視点は資本家(強者)にとっては極めて有利であるものの、障碍者を筆頭とする弱者に対する配慮が一切なされていない。このようなあり方は、日本国憲法により保障される文化的生存権を著しく損ない、公共の福祉に反するものであり、当然に許容されないというのが妥当であろう。

ただし、著しく保護の様態が厳格であり、技術革新等の阻害になっていると認定するに足る相当の事由があり、文化的生存権を担保する諸々の法規制ないし制度設計が存在する場合においては、その保護のレベルを下げることは妥当性を欠かない。

(ii) honowo氏に対する疑念
氏はおそらく無垢なる新自由主義の信奉者であろうと考える(発言がネタでないならば、という前提がつくが)。
JR東日本が完全な私企業であることを認定することは本論(I)により極めて困難であると考えるが、私が氏に限らず、こうした新自由主義の信奉者(或いは心のどこかで信じているような人物)に対して、極めて懐疑的であり、想像力が欠如しているとまで述べた理由は、新自由主義が今の時点で良いか悪いか分からないこと、法令をキチンと読んでいないか乃至は法制度を知らないか又は無視しているというそのスタンスに腹立たしく感じるからである。

以上の通り、公共政策論に関し、緒論を述べた次第である。

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